Wednesday, August 16, 2006

2006年 CCMN フィリピン短期宣教ツアー (6)

6) 真剣勝負-マジで伝道すること 

サンデークリスチャンなんで

今回の宣教ツアーでは自分としてはかなりのチャレンジなものだった。しゃべるよりは黙って行動することで伝道になる方が個人的には希望する伝道方法で、井戸ほったり、家建てたりするような肉体作業を提供するようなのが自分の希望です。裏をかえさせば歌をうたって劇をみせて話して信じるのかなあという素朴な疑問が持っていたわけです。なのに今回は一番やりたくない初めてあう大勢の人の前でメッセージしたり,3人の小グループ公園で路傍伝でした。しかも英語です。
幸いな事にフィリーピーナはFRIENDLYでOPENな方が多いので日本ほど警戒されないしすぐ友達になれます。  
しかし、ちょっと悩みがあった、私には大勢の人が感動するようなすばらしいメッセージができるわけではなく、すごい証があるわけでもない。まして癒しの奇跡が起こせた経験もない。それよりは自分にはそんな資格があるのか、1週間168時間の中で、自分がクリスチャンなのは日曜の礼拝に1時間程度で後はほんと一般人じやないか、そんなんでいいのかなあーという弱気な想いがめぐる事もしばしばです、そうこうしていたら、チームリーダーからついにだれか今晩のメッセージしてくれないかという振られた。消去法では私しか残っていないので、これはもうやるしかないと観念し、リーダーにOK私がやるよ回答した。
全然日本で準備なんかしていない、簡単にストレートなメッセージをしようとアウトラインと聖書箇所だけきめた。あとは神様まかせようと決めることにした。
準備時間も1時間程度しかない。自分はどれだけマジさに神様に頼っているかという事だけしかない状況です。 そもそも私は全然だめな”弱い”人間で、すごい事なぞ何もない不得意なことが一杯ある人間です。あえて神様はそんな人を使うようです。もし私が有能で苦労しないでなんでも独力でできたら、私きっとその結果を自分自身の”手柄”にしてしまうでしょう、そこには神様がいないのでほかに人には神様がみえなくなってします。その危険性のある自分を神様が用いるときには、自分の得意な方法では用いられない。むしろ”弱い”ところ”苦手”な部分を使おうとされるんですね、その”弱さ”があって、本人の意思でそこを乗り越えようとすることを期待されているようです、そうして成長される事を喜ばれているんだ、そうだよ、それでいいじゃんかと確信できたら、その時点で迷いがふっきれました。
普通のサラリーマンのオッサンがありのままの自分で、自分の感動したことを伝えていけば、照れずにやってみよう。
チームのスローガンにSHOW THE SPLIT:自分の身の丈にあった信仰をみせよう。SHOW THE LOVE:そして何より自分はフィリピンの人を大事に思って仕えるためにきた。それ以上もそれ以下もないという気持ちに切り替えられるて落ち着きを取り戻せました。

Jesus Love me   

そして夜に海沿いの小さい村の集会で、私は10数人の村人のまえでメッセージをしました。前述したように現地の人は音楽とかゲームのあるときは反応がいいんですが話を聞くとなるとどうも苦手なようで、反応が本当になくなる。メッセージをして周囲の人をみると私の目をみて聞いている人がいない、なんかこれ引かれたなあ伝わらないなあと思ったら、そうだメッセージがだめならもっとシンプルで歌でいこうと思いJESUS LOVES MEをその場でアカペラでうたう。反応はまるでない、音すこしはずしたし、やばい!、、、うーんもういいや。2年ふりに人前で歌ったのが音のはずしたJESUS LOVES MEというしまらないままおしまい。
その後現地のスタッフが集会にきた村人に神様を貴方の救い主として受けれいれますといつものようにたずねました。なんと残っていた大体の大人が手をあげているのみて 本音でホットした。
俺のときだけ少なかったら悪いよな皆に、今回も大収穫できて本当によかった胸をなでおろした次第です。
その後チーム全員が手を上げた人を中心に名前と住所をメモして帰っていきます。そして次の朝、再度のその村へいき昨日きいた住所と名前で各家庭訪問して、信仰告白の確認とか、昨日はきけなかった人には再度伝道していきます。そうすると昨晩より多くの人が信じ、その人たちが救い主として受け入れるお祈りしていきます、そういう収穫を何回も何回も経験しながら家々を回っていきました。
翌日別の村で同じようにメッセージをした日本人女性メンバーのなほさんの時にはなんと1度の30人以上が救われました。
彼女いわく自分の一生3回分くらいの収穫を一晩で経験したと語ってくれた言葉がこの思いを形容するのに適当な単語といえます。
しかし、実際にはそのずーと前から種をまいていた先輩達がいて、その実をただ収穫に時に手伝いにきただけという事を認識しないといけないということにもその後気づかされました。自分の手柄にしそうで要注意!わかっていても陥りやすい”成功”という甘い誘惑の罠ですこの宣教ツアーのもらった自分への収穫は、自分でも神様に用いられたいといといろいろ悪戦苦闘すると、神様に使っていただいた事やらヒントをもらえる事で自分の前の壁を乗り越えられるという経験でした。

Monday, August 14, 2006

2006年 CCMN フィリピン短期宣教ツアー (5)

(5) 泣いた、笑った、食べた、励ましあったそして別れた。 

若い人たちとの楽しい交流

ィリピンには私達総勢25名の香港&日本連合チームで、その中をさらに2チームにわけ、行動がすべてこのチーム単位で行います。バス移動する際は最初と最後は人数確認の点呼があります。自分の番号をリーダが番号と大声で応答するわけです。ちょと受刑者をイメージしていました。また、ここでの生活は集団生活で中規模サイズの各部屋に簡易ベッドがおかれそこで寝起きし、食事もだいたいチーム単位で一緒にとります。
このトイレーとシャワーは一体型という初の体験をしました。
トイレの洋式便器の上でシャワーがついているものと、
男子用便器の上にシャワーがついてものが同じ部屋に装備されています。これを男子用と女子用になっている。断水が多く、その時はおおきなバケツにためておいた水を使用します。用をたした場合にもこの水でながします。シャワーは決まった時間に集中して浴びます、
ある日シャワー&トイレにいくと、なんと男性メンバー全員まっていて、水を節約するのためみんなで一緒にはいる事にしたそうです。
香港では日本のように銭湯がないので一緒にシャワーに入るみんな裸になるのがなく、わいわいはしゃいでいたのが面白かった。
でもなんか男が一斉に貧相なシャワーを使っているのはやっぱ刑務所ですかね。 

香港吉本芸人宣教団

昨年のカンボジアと比較すると、水はミネラルウォータがあるのでありがたいし、トイレとシャワーがある床でねなくてベッドがある、移動には車が使えた。そして食事はかなりいい量と質のものが出されていたので恵まれた環境と私には思えた。日本しか経験のないメンバーにはすごいショックだったそうです。タフな生活がつづいていても笑いを取る才能がある香港メンバーたちのおかげでいつも笑い声がたえないでいた。バレーボールの監督と先週や卓球の試合の速攻コントをするリーダーとその相棒、誰が指揮するわけでもなく、10人以上が集まって人間ボーリングピンとボールの前、いじられキャラのまじめな男性が話しだすと、一斉にいじりだす。手持ちの水筒をマイクに見立ててインタービューのコントをはじめる芸達者の人たち本当おもしろかった。
日本チームにも超天然素材のまきちゃんがその個性を発揮しだしますます笑いが絶えない日々が続き、毎日毎日なにか爆笑でした
本人はいたって素直な方で、感動すれば泣き、やさしくされたといえば泣き、そして面白いといえば笑う人なんですがとにかく理解不能な行動するのでそれがおかしくて、そのおもしろさは「今日のまきちゃん」と題して1週間ネタ帳を作っていました 。
ただ冗談をいいあっている楽しいだけではなく、本当にお互いを励ましあって祈りあってもいたという土台があったうえでの事だといえました。
ある晩、集会へ移動するとき、奉仕のリーダーをつとめる日本人の姉妹の為日本人メンバーが日本語でその姉妹を励ます祈りをしていた時、
まわりにいる周囲の香港チームのメンバーも祈り輪に参加して手をおいえ祈ってくれていた。
自分の奉仕や仕事がおわると、いろんなメンバーからGOOD JOBと声をかけてくれる。直に他人の成功を祈る、うまくいったら自分のことのように喜ぶ

そつなく問題なくこなす事や失敗しない事が最優先になってしまい勝ちな私にはカルチャーショックでした。こういうの日本でもつくりたいね。それだけに最後に別れるときは寂しさを覚えた。

Saturday, August 12, 2006

2006年 CCMN フィリピン短期宣教ツアー (4)







(4) PROJECT ISLAM(I Sincerely Love All Muslims) 

刷り込まれた感情

 前回の続きです、フィリピンの受け入れ先の教会ではPROJECT ISLAMという働きを行っています
その背景となるミンダナオではキリスト教徒政府とイスラム教徒の 反政府勢力との間で内戦の歴史がありました         
1972 – マルコス大統領による“Martial Law”
2000 – エストラーダ大統領による“All-Out-War”
という2回の内戦があり 、ミンダナオ島ではデラバヤン 村で
2000年2月 であるイスラム教徒の村は海兵隊により完全に破壊されて、210の 家族が家を失っい難民はとなり食物も薬もなく病気になった人が大勢いたそうです。
その状況をみて、2000年4月 ミンダナオ北部の福音派のキリスト教徒がプロジェクト: ISLAM を組織して、イスラム教徒 の村の再構築を開始しました。4年後 プロジェト:ISLAM は287 軒の家、モスク、3つの集会所を建てたそうです。
クリスチャンがクリスチャンの軍隊がこわしたモスクを無償で建てたそうです。すごい衝撃をうけました自分たちの間違いをみとめて、宣教する目的ではなく現地の人の要求にただ答えただけの行動です。
実際にこのPROJECTには参加している教会スタッフの姉妹が私たちに自分たちの経験を話がきけました。彼女たちは子供のころからイスラム教徒は怖いと教えられていたのでイスラム教徒に対して本当に恐れに苦しんだそうです事実そう遠くない昔、アメリカ人宣教師がイスラムゲリラに誘拐された事件もあったので決して友好的な関係があったわけではありません でもこのPROJECTでは彼らイスラム教徒を”友人”と呼んでいます。その友人達が困っているところを助けてあげようという働きを無償で実施しています。 

イスラム人たちの交流    

その中の働きのなかでイスラム教の若い兄弟姉妹とクリスチャンの若い兄弟姉妹が交流する時間がありました。一緒にビーチで遊ぶわけで、結構いい経験をさせてもらったと思っています。特に覚えているのが          イスラムのリーダーの話:すごい知識を習得るという事を強調していた。 事実を理解できるのはその人の知識や教養が必要。何がおきているかは 知識や教養がない人が理解できないだろう? という話が印象的だった。 ”賢人”という言葉は当てはまって、何か校長先生の話を聞いている ようでもあった。         
若い兄弟・姉妹 :総じてシャイでもすごい親切。リーダーの息子は
秀才風だが、総じて普通の若い人たちだった
おまけ:俺の出番かな、、、
一番今何がPROJECTでほしいのはとメンバーに質問したら
NOTE PCとコンピュータの教師が欲しい 
あとハイエンドのサーバーだそうです。
おー、

Thursday, August 10, 2006

2006年 CCMN フィリピン短期宣教ツアー (3)

(3) 戦争のこと           

昔あった戦争

東南アジアにいって思い知らされるもうひとつのことがあります。戦争です。昔の日本がしかけた戦争と今もなお続いているか最近まであった戦争です。     
ある時、道端の老人から話を掛けられた。
ありきたりのどこから来たのかと質問に日本からだと答えると、
おじいさんはにやっと笑って「No More Fight!.Make Freindly..」と返してきた。シャツをめくって日本軍にうたれた傷があるんだと見せられました。でもうらみっぽくないんです。
そこにお孫さんという若いお兄さんがやってきて、おじいさんは退役軍人なんだと教えてくれた、なんか今に素直にごめんなさいといいたくなって日本人を許してくれますか とたずねたら。
”もちろんさ”と笑顔で返してくれた。救われた気分になる。     第二次世界大戦なんて昔のことで、自分とか関係ないよという気持ちにはなれず、相手に謝罪しそして許されたという気持ちが初めて湧いた瞬間。     
その後通訳のオジサンからも自分の父親も実は退役軍人でね、背中に日本刀できられた痕があるんだよと教えてくれた。すいません!と
心の中はすまない気持ちがいっぱい。
おじさんは続けて、神様が俺達を許してくれたじゃないか、今は俺達は友達だよ。明るく話してくれました。
太陽がますますまぶしく思えた時間でした。
香港人と日本人が一緒にフィリピンに宣教にいった、昔は国同士が戦争していた仲だが、今が天国という国籍を共有している。

まだ続いている戦争

次には今のある戦争。ミンダナオ島はそもそもはイスラム教徒の別の国の島だったのをスペイン占領にともなって強引にフィリピンにくっつけたそうで、そこにマニラ島から大勢キリスト教徒の住民を移してキリスト教化したそうです。
しかし、昔からいたイスラムの人の中には反政府組織が作られ、4,5年前には大きな内戦が2度ありました。5年前はまったく普通のイスラム教徒の村が政府軍(彼らからするとキリスト教徒の軍隊)によって破壊された、そこでイスラム教の住人はただキリスト教を憎むようになったそうです。 一方キリスト教徒の住民には昔からイスラム教徒は悪い奴らだと教えられてきたそうです。
お互いには刷り込まれた憎しみや偏見のため自分たちは正しく相手が悪いというふうになってしまったようです。 
 そんな宗教間の対立がある状況のなか、短期宣教のベースとなっていた教会は、昔キリスト教の軍隊が行った事は間違いと認めた上で破壊されたイスラム教の村の復興を無償でサポートしているプロジェクトを実施していました(ここのことは後日詳細に記載したいと思っています)破壊活動の結果をみると悲しくなるが、そこから回復をはかろうとうする姿勢はまさに”復活”の力強さを感じました。
私は戦争はこわいねえ、日本が平和でよかったね私達は運が良かったとしかいえないような、やや後ろ向きな感想しかありませんでした。
今は平和な国に住んでいる何を私たちがすべきことがあまりに多いということに気がつかされた。いつまでも、自分の内向きな問題ばかり抱え込んでその解決に労力を使うのは、創造的でない。次のSTEPへ     Go to the further step!        

Tuesday, August 08, 2006

2006年 CCMN フィリピン短期宣教ツアー (2)

(2) Which way to The HAPPINESS      村やストリートの貧しい地域に住んでいる人達の話を聞きすこしお互いを知りあう時をもった、 お互いに信頼関係ができたら、彼らから祈りのリクエストを聞く事になっている. それで彼らから祈りのリクエストはありませんかとたずねると、 子供のために健康に働けるようにして欲しい、 子供が元気で成長して欲しいとか、     夫に仕事が与えられるようにと、 とにかく家族のために祈って欲しいとよくいわれた。 家族の絆を本当に大事にしているのが理解できる。      現実にはそこにシビアなお金の問題が存在していて、家族の絆に対して大きな影響を与えているだ。     
現地の家庭のなかでも生活の格差があった.電気・ガスがなく薪で煮炊きしている家もあれば、TVやDVDをもっている家庭もあった。また、道路には結構きれいな新車が走っている. 家族が豊かな生活をおくるために、奥さんや旦那さんや子供達が外国も出稼ぎにでるのが当然なのだそうだ。出稼ぎ先として日本いくケースが多く。女性の場合には昔いわれたジャパゆきさんや嫁不足村への国際結婚、男性の場合には肉体労働者かミュージシャンが周囲にもいたのを覚えています。
 彼らは物質主義にとらわれている、なので物質主義から解放され魂の自由をとは簡単にいえません、 現実のこの貧しさから脱出するという現実問題へ答えてあげなるのが重要かと、あなたは魂の解放されればというのは上から目線で物を教えているようで、相手を尊重していない 気がしますね。 
実際、私が家庭訪問で証をしました、内容はいろんなものを買える環境だがそこに平安はなかった。というものです。ほとんど刺さりませんでした。
ただ、私が自費でフィリピンにまでイエス様の事伝えにだけ来たという事には、この人に特別な何かと関係があるようだとは感じてくれたと信じています。
 巨大なビルが林立するオフィス街にいても、まだ異国の街のあの愛すべき人の事を思いだす事があります。
感傷的になり、本当の幸せとはなんだろうかと、どっちの道が幸せにつながる道を探している自分に気が付く    

Wednesday, August 02, 2006

2006年 CCMN フィリピン短期宣教ツアー (1)

はじめにリズムありき 

今年もCCMNの主催する短期宣教に参加して、フィリピンへいってきました。そこでの経験を記載します。まず初日は宣教先のカガヤンデオロ市の公立高校での集会に参加しました。ジピニーにのって宿泊先の教会から、がたごと揺られて移動し高校に到着    

校庭の中が野外ステージのようになっていました。すでに大勢の生徒達が校庭に集まっていて、校庭のステージの上では、現地の教会スタッフが楽器やアンプなどのならべて準備をしていました。その後そのスタッフ達が演奏を始めた。これがうまい!。ビートの早いの曲が大半が大半で生徒全員オオノリキャー キャー悲鳴をあげる女子高生も何人もいたほどです。まるでロックコンサート状態。
最初ミンダナオ島はイスラム教の島なのでキリスト教は遠慮がちときいていたが、歌詞は全部福音についてで、”JESUS!”と大合唱。イスラム圏だろう大丈夫かと心配になった。

後できいたらカガヤンデオロのような島の北部はルソン島からきたカト リック教系の住民が大半なのでイスラム教の住民はすくないとの事でした。そういえばイスラム風の女の子はいなかった。とにかく全員ノリがいい。音楽きいた ら自然に体がうごく人なのだというのが理解できた

た だ、音楽があるうちはみんなノリがいいんですが、反面、証とかメッセージのようにじっと聞くのは苦手なようで、なんか面白くないなと思うと徐々に去っていきました。次にゲームとか娯楽系が始まるとまだ戻ってきました。後半のメッセージの時には大勢いた生徒がまばらな状態その残った生徒に対してビラ配ったりとかして、アウトリーチ開始、
多くの若い子は日本には興味があるらしくて、話掛けるとすごく友好的。

聞くと兄弟・姉妹、親戚が日本で働いていたり日本人と結婚していたりする割合が多く身近に感じているようです。   

他のメンバーが記念に地元の高校生達と写真を撮り始めたら関をきったように写真撮ってくれと押し寄せてきた。ちなみに写 真をとりだすと皆関心がそっちにいくので遠慮しなさいと注意があった後から知る事になる。

そ して、最後に現地の教会メンバーによるオオノリ賛美タイムが開始されるとまた人がぞろぞろ集まってきた、今度はダンス付きで大盛り上がり。ス テージの前の最前列のスペースが今度はダンス用のステージとなって、次々に生徒がでてきてはかっこいいステップを決めていく。映画みたい

ああーなんとかっこいい子たちだと本当に関心する。ふと見渡すと現地の若い通訳スタッフ踊りだしていたまでも、 お姉さん仕事忘れてますよ! 

今回はフィリピンの方の陽気さと人なっつこさを音楽好きすぎるが、見ている私が幸せな気分になった。