Friday, March 18, 2016

REDOWLでお買い物-2 フリーランス時代





きっぱり日立をやめてIBM系の仕事がしたくてフリーリンスになることを決意しました。
ここが考えが浅いし、今思うと自分にうぬぼれていましたね。

まあ、速攻日立の系列会社に辞表をだしたらなんと上司や親会社からは止められた!
説得の理由が、会社に長くいるのが正しい選択で、お前は思ったよりはモトモで
使えそうだが自立するのは無理、このまま大企業にいた組織のメンバーとして生きていくしかない存在だからというような説明だった。
まあ、優秀じゃないのは自覚しているが腑に落ちないので
とっととやめて次の仕事でGO!!

第3次オンラインの開発現場へ

当時は銀行が第三次オンライン化をしている最中でどこもプログラマが足りずに
超売り手市場でした。私はアセンブラとかPL/I(なつかしい)ができたので
速攻F銀行の情報系のシステム開発の現場に放り込まれました

給料は日立時代の一気に2.5倍です。毎月ボーナス状態でした。
が、現場は今でいうデスマーチ状態、毎晩ほぼ終電。
帰ってもなかなか目がさえて寝られず、10時におきる日々で
自主フレックス状態してましたが
まあ現場が混乱状態だったのでお目こぼし状態でした。


第1次ITバブルのカオスな現場

しかし、自分の問題以外にもあらたな問題が発生、
当時は小さいソフトハウスでも
ドンドン注文がきた時代で
経験2,3か月の新人ですら即現場に投入されていました。
まさにITバブル(考えたら末期的)しかし現場はますますカオスな状態。
本当に素人で、ソースコードのそのままぶち込んで実行して
動かないと(shellじゃないのよ)
その新人SEは一人で相談もせず1日悩んでいた。

ではその上司も人をかき集めるだけとお客への進捗報告のみ、
当時発生した現象は、素人集団をテスト的に採用するが戦力にならないので
試用期間が終了とともに退場。そして
またあらたな素人集団が投入されるという
マイナス・スパイラルに陥っていました。
メーカのSEもあまりのデスマーチ状態のため、定例ミーティングでの口喧嘩は日常茶飯事でした。
適当にやってもお金になるので無責任な人が多くなりプロジェクトは窮地に陥ります。そんな状態の中で責任感のつよい方が真面目かたがよく”壊れ”ていきました。SEが消息不明になったり自殺とか聞かされた事が珍しくなかった。

バブルな現場のあやしいオジサンたち

そんななか、お金もたまったので、ちょっと10日ほどやすんで
NYへ行こうと計画たてた、契約の切れ目だったので、現場のボスに次の契約開始を10日ほどずらしてとお願いしたら、なんとお客様の中で10日も休むとは何事だと問題になった(本当?)。
その時、プロジェクトの私のチームリーダのオジサンは
待ってましたとばかり私の交代要員をお客さんに売り込んで
結局私はお払い箱になりました。

そのオジサンは仕事はいまいちでしたがゴルフとか飲み会の幹事には熱心だったので、ゴルフやるおじさん達に嫌悪感を持ち始めました。
加えて、プロジェクトマネージャのおじさんは、
挨拶かわりに女子社員のおしりを平気でさわるセクハラ親父でした。
その二人が昼休みにゴルフの話をするのでをますますゴルフするおじさん嫌いが
増加。

話しを戻すと、私の後任は実は要求されたスキル・経験も圧倒的に不足していて
結局引継ぎはできずドキュメントだけ渡して完了。

最終出社日にメーカSEの人に挨拶にいったら、
「あれ本当にいなくなるの!、まいったなあ復帰の予定ないの」
と驚かれた。