Thursday, June 16, 2016

REDOWLでお買い物-5 Cray Japan(スーパー301条+リクルートスキャンダル)

Cray Japanでまたまた新聞沙汰になる。


Cray-YMP まるくなくなる


神風スーパー301条


さて、しばらくすると”神風”がふいてCrayが爆発的に売れました
理由は、
アメリカとの貿易が大幅黒字続きだったので、
アメリカの商務省がスーパー301条という不公平貿易是正の法律を
縦にとって日本が保護している製品(米、肉などの農産品)に市場開放を
迫ってきました。なんと象徴的な意味合いでスーパーコンピュータが追加された
わけです。

私が入った当初は全部で5台程度だったのが、このおかげで、
3年で10台くらいばバタバタと売れまして遅れてきたバブルでした。

新規ユーザのお客様はほとんどIBMの汎用機ユーザだったのでその
接続部分が私の仕事だったので気が付けば3倍くらい忙しくなってしまいました。

毎週出張続きで、1ヶ月のうち合計1週間くらいしか家にいない日々で、
出張手当だけで生活していたかと、結婚もして子供もできたんですが不在の日々でしたが
なんか張り合いはありましたね。

そうこうしているうちに今度はリクルート・スキャンダルというのが発覚して
それにCrayも巻き込まれたわけです。マスコミはこれは第二のロッキード事件だと
おお騒ぎです。上司は検察庁によばれたり、国会議員の調査団の訪問も
数回受けました。
政治圧力や裏金使って不正な売り込みというストーリーに仕立てたくて
仕方がなかったように思えます。今風にいうとマスコミがフェークニュースを
しかけていた構図で事実と異なる記事やTVの報道のされ方をされたのを
覚えています。

そもそも入札の国産メーカびいきが技術的に理解できず、売り込むために
政治家にワイロ送ったんじゃないかというあらぬ疑いをかけられて
すごい迷惑でした。

上司が共産党の議員団に日本の非関税貿易の壁を説明して、
こちらの機器の優位性とかもちゃんと説明したうえで
既存の機器とバイナリ-互換がないとダメだという仕様書の例まであげて
みせたら最後は「頑張って下さい!」と言われたそうです。

半面、面白半分で要点をはぐらかし、最初からストーリーとか結論を決めて
報道する大手マスコミにはこの時点で失望しましたよ

しかしおかげで超有名になった。
家族にはスーパーコンピュータはスーパーのレジで使われるPOSの会社と
勘違いされたり、
友達からは、「あーその錆とりの会社ね、コマーシャルよく見るよ」。
お客様訪問時は受付で日本クレーンさんと呼ばれたりしていたが、

いろいろ勘違いされていたが知名度が上がって、間違われずすむようになった。







REDOWLでお買い物-4 Cray Japan入社

発外資 Cray Japan入社




ソフトハウスの将来への不安

こころの不安を上司に伝えると曰く、まず仕事をこなしていけ、
そもそも貴方のいう将来像は甘いし、現実的じゃないと相手にされず。
私を上司を信頼していたのでその話を一生けん命自分に
思いこませていた。意外に依存しがちなんです。
職場の周囲は普通に”いい人たち”でしたが、私には
彼らの共通の話題である酒、麻雀、ゴルフなどには興味がなく
誘われても付き合わなかったので結果職場友人ゼロのまま数年経過、
上司より協調性なしと断言されてしまい気まずくなっていきました。
しかし、気にせずそのままにせず自律(孤立)していたら後半は
身勝手だとお偉い方からキレられました。

自分の将来像を人に作ってもらうのは違和感を感じていたので、
間違っていてもいいから自分で選択した道をまた歩もうと思う考えました。
そこで学生の時から外国で働いてみたいという希望をかねさせたくて
外国いけそうな外資系の会社へ移ろうと決意、
運よく先輩を頼ってスーパーコンピュータ専門メーカである
Cray Research Japanに転職できました。

振り返ってみると、ここで過ごした時間はエンジニアにとっていい経験を
詰めた時期でまさに転機になった数年でした。
仕事の内容も開発から運用回りの導入、保守、障害対応、セールスサポートと
傾向もかわり。英語を使う比重がグンと増えたのも大きかった。

そして、念願のUSはミネソタ州に6週間のトレーニングにいくことになりました。
そこで今まで経験したことのない生活をすごさせてもらいました。具体的には

  • 英語はヘレンケラー状態(読めない、聞こえない、話せない)
  • 当時車の免許がなくて、ほぼ部屋に引きこもり
  • 運動せずただ食べては寝るだけの生活でかなりの体重増加
  • インターネットなどなく、日本語に飢える。同じ文庫本を3回読み直したり
    誰かがおいていった週刊誌をなんどなく読み返す、などなど
辛い時こそ、普通の事がありがたく思い出される、
今のかみさんから手紙をもらったのと、
トレーニングでご一緒させていただいたDr 齋藤さんと
いっしょにカナダのトロントへいけたのはいい思い出としてはありました。
一人でトロントの街を歩き回り、公園で知らないおじいさんに話かけられたり
鳩に餌をやっているおばさんのそばで無造作に椅子に座ったら鳩が飛んだので
鳩を怖がらせるなとおばあさんにおこらたり、今思うと不思議な経験でした。


そして、このミネソタ滞在中に食料や日用品などをよく買っていたのが
唯一歩いていけたRed Owlというローカルのスーパー。
本当に世話になった。
当時アメリカには日本にないものが多くて、大量のスーパーの商品をみててきょろきょろしていた。
電子レンジであたためるだけのTV Dinerとか、バカでかいポテトチップ、日本のサイズの2倍
くらいあったチョコレートやドーナッツなどなど、そのため体重はかなり増加した。



さて、帰国後はやばいと感じて忙しい中6ヶ月かけて自動車の免許を取得!
免許とれた際うれしくて上司に報告しましたよ。そしたら上司は俺にも感謝しろ
とにおわせてきた、なんでだよと無反応でスルー。
それが気にくわなかったようで再度催促されて興ざめした。どちらもKYですね。









REDOWLでお買い物-3 フリーランス時代(続き)

RED OWLでお買い物-3-フリーランス時代(続き)


フリーランス時代の続きです。
バブルの時は、各会社が横並びで
システム開発をしたのでエンジニアは
超売り手市場で。
毎月仕事の依頼が毎月くるが忙しいと断っていました。




給料は本当に羽振りがよくて月収は65万~70万(同年代のボーナスとほぼ同額)
しかし忙すぎて休みもなくて旅行は夢のまた夢。
酒好きではないので、の実にもいかず。
風呂なしの安アパートにすんでいましたが

なぜか、金貯はそこそこしかたまらず、
大盛飯に消えたか?
今思うと何か買っておけばよかった。



ソフトハウスでの仕事

業務アプリケーション(COBOL系)には手をださず
ミドルウェア回りの仕事をしていましたが。
当時できたばかりのソフトハウスの案件を紹介されて
そこのプロジェクトに参加しました。
この会社とは後でいろいろ因縁ができた会社でしたが、当時は勢いはあるし
人間的にはいい人だなあと思う環境でした。
お客様は東京電力で、原子力発電所の制御システムのデータを
本社にホストと連動させるシステムの開発に参加しました。
今話題の福島第一発電所のプロジェクトです。対象は1号機、2号機だったと推測されます。
数年前の震災でその当時の施設があったことには驚きました。
周辺設備は変更されて刷新されたでしょうが、基本部分は変更できないので
当時のままの施設もあったかと、、、

減価償却が終わったので使えばつかうほど利益になるので使っていたのでしょうか
と疑いたくなった。
プライベートの事
  • 当時今のかみさんと付き合っていたのですが、いつも終電の生活なのでデートするには前の日徹夜とかしないといけないので結構タフな日々でした。
  • 母親がクモ膜下出血で倒れて手術をうけたんですが1週間後に昇天父親も大腸がんで入退院をくりかえしていて、先は長くないなあとひそかに覚悟していた時期でもありました。なにか心がぽっかり穴があいたようだったので、
  • 紛らわせるために仕事ばかりしていました。
  • 当時はアセンブラのデバッグツールはなくて、ひたすらダンプやトレースの解析で夜遅くまで没頭していた日々でしたが、気分を紛らわせるために仕事ばかりしていました。

これまずいなあ
将来このままで自分の技術が陳腐化するんじゃないかと不安を感じて、
ちゃんと教育のある会社にいきたいと思うようにもなった時期でもありました。
そこで、先輩のいる会社に応募することにしました。
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