2度目のさよなら
引っ越しが無事に終えた後、経営陣の無策な無駄使いと人望のなさに悲観して再度CRAYをやめて別の会社に行くことにしました。その際奥さんにちょっと相談したら、「今度は買収される心配のない大手がいいかも、マネージャもしっかりしていると思うよ」
というコメントがいただきました。今思うとこれが当たり。
CRAYの友人からの誘いもあったが、あえて業界老舗のIBMの子会社ISEに就職できました。
まず、転職の選考過程がユニークでして、当時募集しても、どうかんがえても写真(当時はひげはNGだった)落とされる事数回。
しかし、書類選考でおとされなかった。
無事次のペーパーテスト(英語、マーク式の知能試験、など、3科目で3時間)へ
なんと土曜日の午前に応募者が呼ばれて一斉に受験。
そこでの試験官のセリフが”転職して給料があがるのが相場かもしれませんが、IBMはあがりません。評価されれば上がります。そのつもりで受験してください”でその言葉いまでも覚えています。
過去になかった選考過程
ペーパ試験が無事パスして、二次試験の面接(2回)へここは久しぶりにこの面接は緊張した。
採用通知はきたが、人事から提示された条件がユニークで
・平社員でかつ給料はCRAY時代の30%ダウン。
マネージャ採用はないので中途採用は一律この給与でスタート
・給料あげるには、社内の各トレーニングを受講して昇進試験を
パスしないと給料はあがらない仕組み。
と以外にそっけない条件でした。
当時トレーニングや研修に飢えていた私には魅力的に思えて、育てくれるなら将来を考えて給料減しても良いと判断して決断。
入社後の1年は新人社員と一緒に主に提案書作成の基礎を学習して最後は泊まり込みで合宿形式で終了判定という過去にはない研修を経験。
”野放し”で強制されるのがきらいな私は途中で面倒臭くなり、
やる気↓な状態に陥りました。
そのことをCRAY時代の友人にメールで愚痴ったら返事で、
”ここで引っ込んだらCRAYのエンジニアがそんなもんだと評判になる、
負けるな!”と発破かけられ気持ちを改めてチャレンジ。
新人が殆ど寝ることができないで過ごす2泊3日の最終合宿検定をパスして、
翌年の昇進試験もパスできました。
諦めていた説明能力のなさが若干改善できた事。追い詰められた時の対応法が実践形式が体験できたので私には良かったかと。
そこから前述にあった2220用務員として本格的なネットワーク屋さんへとシフトしていきました。
余談:ISE以外の就職活動ーF社の面接
CRAY時代の仲間は、社長が転職したフィルムメーカのKODAK
やら関係があったSunなどにグループで転職していきました。
親分を持たなかった私にはほぼ声がかからず。ネットワークは
柏さんと持ち上げあげられていたが上司には好かれていないと実感。
自分で転職エージェントに登録して活動始めました。
その際受けた会社の話です。
USのエンジニアのマネージャの面接から始まり、
その上司のAPACのマネージャと日本の技術マネージャの面接をパスして
最後に日本法人の社長の面接にたどりつきました
その際にはエージェントからはほぼ決まったよ、USのマネージャから
日本法人の社長にはぜひ採用しろとプッシュしているとの説明。
わーい決まった!と喜んで半休取得してうきうきで社長との最終面接に行きました。
しかし、面接には営業マネージャがでてきて"君では無理だろう"
とネガティブな発言の連発してきました。ここはやる気をテストしているかと思い、
頑張って回答して粘ってみました。
すると、根負けしたのか営業マネージャの口から
”実は、社長の希望は営業でエンジニアではない。
しかし、USからプッシュされているので社長としては断りずらい。
そこで、
貴方が辞退してくれないか”
という説明。まじですかー---!という結末で流れました。
さてその後時が過ぎて10数年後、
この営業のマネージャさんとは別の会社でまさかの再会を果たします。
ISEの後私が知り合いの紹介でネットワンに移った際
社長の顔に見覚えがあり、前歴を調べたところ営業マネージャであった
へへー今度はまんまともぐりこみましたよ、社長さん(^^)
