Tuesday, May 12, 2026

REDOWLでお買い物-22 友人と起業したが、いろいろあって一人親方になる

 

シンガポールから帰国、そして福島へ

シンガポールの経験でから自分は日本の企業体質に合わないことを痛感してやや落ち込んで帰国。その後、前職の友人の紹介で福島県郡山市勤務のプロジェクトに参加することができ、気を取り直して1年半にわたって福島で働くことができました。震災以降にまた福島にいけるということに何かワクワクしていました。

後から聞いた話では、震災後の原発放射能汚染の噂の影響で応募者がいなかったそうです。福島では不思議なことに10年ぶりの友人に再会したり、良い上司に恵まれたりして、
1人で東北や日本海までふらっと旅にでたりと、福島では良い思い出だけをたくさん作ることができました。しかしプロジェクトの終了とともにその後東京へ戻ることとなりました。

気持ちは福島に置いたままのような状態(My Heart  Left in Fukushima)だったので、なんとかまた福島にもどりたいという気持ちから福島の仕事にいろいろ応募しました。しかしすべて空振りに終わりがっかりしました。私は「お呼びでない」のだなあと、半ばあきらめていました。

起業、会津オフィス開設

もやもやした気持ちを抱えながら東京でさまざまな仕事をいただき、4、5年が経った頃、いろいろな人から「起業したら」と助言を受け、前職の知り合い2人とともに会社を設立しました。

当初は私1人だけが専従し、ほかの2人は現職に留まるという少し変わった体制でスタートすることになりました。半年ほど経つとて私に長期の仕事が入るようになり、なんとか離陸できたかなと思える状態になりました。

一緒に起業したメンバー(A氏)が福島のとある大学とのコネクションを活用し、大学発ベンチャーの名称をごり押しでとってその大学がキャンパス内に提供している大学発ベンチャー向けの賃貸オフィスを借りることができました。福島に戻ることができたと、少し舞い上がっていました。後からその大学関係者からはこのごり押しは印象が悪く私の会社は警戒されていたそうです。

まあ福島にまた戻ることができて気分は上向いていました。しかし良いことはここまでで、この後さまざまな問題が起こることになります。

あれあれ、軌道が狂い始めて福島撤収

A氏は他社のマネージャー兼任だったのでA氏のプロジェクトの仕事を回してくれたおかげで売上面では大いに助かっていました。しばらくすると予想外の事が起きてきました。

A氏はたまになにか会議で話す程度で実際の作業は手を出さず、最終的には私が放置されることが都度都度おきてきました。また、彼の口からはダメ出しばかりで段々疎遠になっていきました。また、いろんな飲み代やら手土産台を会社に請求してくるようになり公私混同じゃないかと思いだすようになりましたのでますます疎遠になりました。
しかし彼は常に新しい話題や活動に飛び回り、「忙しい」というので私の間が疎遠になったとしても気にしていなかったようです。私は彼の仕事をうけないで自分で仕事を見つけるように方向展開を決めて自分で営業して仕事をとることにきめました。幸い仕事が見つかったので依存しなくてすむようになりました。

そんな状態が2、3年経つとA氏の勢いが徐々にうすれていきました。いろんなところで公私混同が目立つようになっていき周囲から警戒されたようです。A氏経由の仕事の新規依頼もなくなり既存の案件も期限とと打ち切りになっていきました。私は彼に依存せずに自分で仕事していたのでまあ影響をうけずにほっとした感じです。ただ、いろんなメンバー費用を私の仕事の利益で賄うようになっていきやや将来に不安を感じだしました。

福島オフィスでひと騒動

話しは前後しますが福島にオフィスを借りた後にA氏は大学関係者2名を会社に雇用するといいだしました。仕事は自分がみつけるから大丈夫だから心配するなというのでまあ少しくらいは福島に貢献したいという気持ちがあったので会社に来ていただきました。

がしかし、そのうち1人は大学生のままののり自分の趣味の研究にばかり時間を使ってしまい仕事は適当に中途半端で放り投げる”パラサイト”社員であることが判明しました。本当に仕事がないので会社は赤字がになりかけました。また、お客様にも迷惑をかける事まであって私が直接謝罪に出向くこともありました。A氏はその件はおれがなんとか収めたという発言があってそれを信用していましたが実際謝罪にいって相手の担当者から全くそのような事は記憶にないと告げられてマジかと驚きました。そのパラサイト社員はここでパラサイトできないと悟ったのか別の会社に転職されていきまして赤字転落はなんとか回避できてほっとしたことは今でも覚えています。
さて問題を作ったA氏になんでパラサイト社員をつれてきたのと質問しましたが、いろいろ言い逃れだけして終了。迷惑かけたなあくらいはでるかとおもっていたのでがっかりしたのを覚えています。

それ以外にも、別メンバーからは「パワハラ被害」受けたと相談されたり苦労の連続でした。メンバーとは会話して一旦納得してもらいましたが数週間たつとやっぱりA氏と関わるのは生理的に無理だといわれて退職されていきました。

そして、いろいろな事情が重なり、大学から借りていたオフィスも最終的には返却することになり、福島から撤収となりました。

今振り返ると、福島の貴重なリソースを無駄に使ってしまっただけだったのではないかと、しきりに思います。

袂を分かち、新会社フライングペンギン・ネットワークス Take Off



さまざまな出来事が重なり、心のざわつきが続いていました。これ以上は継続できないと腹をくくり、会社は譲渡し、自分は新たに会社を立ち上げることにしました。

次女との会話の中で、「また会社を始めることにしたので、社名のアイデアをくれないか」と話したところ、出てきた名前が「フライングペンギン」でした。そこに「ネットワークス」を加え、「フライングペンギン・ネットワークス」と社名を決定しました。

一度起業を経験していたため、今回はすべて自力でスムーズに会社設立まで進めることができました。また、仕事も新会社で契約を継続していただけることになり、無事に Take Off です。

仕事探しには苦戦していますが、心に平安があることが何よりです。

学んだこと

悩んでいるときに何度か相談に乗っていただいた上司に、「袂を分かちました」と最後の報告に伺いました。

その上司の接し方には、どのような人でも受け入れる大きなキャパシティがあると感じました。自分もそのような器の大きさを持ちたいと思いました。

そして、「よく持った方だよ」と労っていただきました。その気遣いがとてもうれしく、自分もこのような気遣いができる人になりたいと強く思いました。

Sunday, February 15, 2026

REDOWLでお買い物-21‐シンガポールで仕事が見つかったがまた明るいブラック企業だった




シンガポールで仕事が見つかる。



社長に無能と烙印を押される。

営業畑の社長で技術無視で無理な注文ばかり、
リードタイムという感覚なく、
依頼したはどんな仕事でも30分後にできたかと聞かれる。
相手にしていなかったでキレられた。1か月して
仕事の大半は内部やお客との根回しが主な役割で技術力は求められずでした。
これは自分には不向きだとあってないと気が付いた。
これは撤退と腹をきめました。
予想どうり試用期間後に給料大幅ダウンなら採用するといわれたので
”私もフィットしていないのはわかっていますのでやめます”と返答して決定。

楽しい出張(マレーシア、カタール、サウジアラビア)

無能扱いされるが、日本親会社からマレーシアの案件がとれたのでPMにアサインされました。日本からもSEを投入するというちょと大きな仕事でした。
現場仕事は楽しく無事終了させてほっとしていたら、
営業からこまかい経費精算でダメ出しをくらう。
つくづくこの職場はあわないと実感。頑張る気力もなく、そもそも管理系は苦手なのが
身に染みて結構落ち込みました。

落ち込んでいたら、今度はカタールとサウジアラビアで現場の現地調査仕事の依頼。
 韓国で伝染病(SAAS)がはやっていたので本社は海外出張が自粛モード。
コンプライアンスの対象外の海外法人の現地採用は対象外でOKだったようです。
それもひどい話だが、あわせてイスラム圏内は不人気なのでだれも行きたがらない。
私はイスラム圏にいってみたかったので喜んで中近東へ、楽しい出張になりました。
尚、FaceBookに詳細はアップしているので興味があればそちらを参照ください。

"お金様でたのしい時間” 


私がシンガポールを引き上げる前に
家族全員がバラバラにやってきて好き勝手に観光三昧。
私は普段の食事はローカルの屋台飯だったがこの時ばかりは
最後の晩餐だと盛り上がり、有名レストランで料理をたべまくっていた。
ある日のレストランでの夕食で、いつも屋台とは様子が違いすぎるので思わず
”このレストランは屋内にエアコンもあるし、
テーブルクロスがある”とつぶやいた。

私の言葉に長女は”普段どんなところでたべていたの?”と反応していたが、
奥さんと次女はまったく気にせず高い料理を遠慮なく注文していた。

そんなシンガポールでやけくそ”豪遊”をしていた際、
次女から”お金様でたのしい時間を過ごすことができました”
という目の覚める一言が飛び出しました。
いまだに我が家で語り継がれる名言となった言葉です。




Sunday, February 08, 2026

REDOWLでお買い物-20‐ 帰国し、明るいブラック企業で取締役

 


運よく再就職先へ、そしてまさかの取締役へ


ベトナムにいるときから、転職活動を始めたら、大手ビジネスホテルのIT子会社の
インフラ担当者の募集があって応募したら先方はインフラ全般が担当できそうな
シニアをさがしていたそうなのでトントン拍子に話が進みました。
とにかく、健康保険書の取得と厚生年金の開始をしないといけない、
オーナー独裁企業なのはわかったいたので、仕事に集中して
社内派閥あらそいとか出世は気にしなければいいと思いとにか角入社。

面白すぎる、ネタ満載の明るいブラック企業

ユニークなオーナーあやしい人を信用し良くだまされる:

  • オーナー独裁なので表面は言い成り振りして結構好き勝手やっている幹部。
  • オーナーは家族を大事にする、義理の弟が背任行為しても庇う。
  • そして、外国の元首相が保有していた城を購入、改造してビジネスホテルにしようとして当地の人々を慌てさせる。
  • 知り合いの非常あやしい画商から有名抽象画家の巨大オブジェの複製を購入し店舗の前に設置、その不似合いさが一層シュール化がます。
  • 知り合いの紹介の個人商店ISP業者(輩っぽい)にいいようにしゃぶられる。おかげで店舗のユーザ向けインターネットサービスは携帯より遅くなっていた。追及したら、裏から手を回して私を追い出そうと画策。
  • ガバナンスとかコンプライアンスがない:ログインIDにパスワードをつけるな!、つけても誰でもわかるような簡単なのに統一しろ。
  • 僻地の倉庫街に美術館をつくる。まさにSOHOだ。
  • ここは長くいるところではない!

私の経験したオーナー以外に豊富なDQNな方々

  • 幹部から部下のPCのトラフィックを盗聴しろと命令をうける。
  • 口達者なヘルプデスクのおばさんリーダは、2ランク上の私に向かって命令してきた。まじにぶち切れで怒った。後で聞いたら相当怖かったらしくすごく嫌な奴と言いふらしていた。いやあんたにすかれる気はないので構いません。
  • そのリーダさんはIT素人で、Wi-Fiがつながらないのは暗号化の周波数が違う、DellのPC独自仕様が多くてUSB機器が接続できない事がよくあるエンドユーザに説明していた。
  • ある重役のPCが調子が悪いから見てくれと言われて調査したらそのPCはマルウェアに感染していた。しかしその重役はその意味がわからず3カ月もPC放置したままだった。
  • DCを二つもって1か月交代で切り替えるという画期的な構成だったが、なぜかVLANが一個
  • 闇の部分が多い部長
    • 空出張と前借り
    • 欠勤が続きそのあと退職したが貸与PCやタブレットが返却されず行方不明
    • それ以外にその人がかなり借金をしていて金融屋から取り立てをうけていたらしく、PC等の紛失が結構あったそうだ。
    • その後失踪し警察から遺体で見つかった。本人確認したいので歯医者を教えて欲しいという電話

怪しい通信事業者の排除に踏み出す
システムは画期的で目をみはる部分があった、インフラ部分の担当者が皆無でなにかあったら一大事になるのは明らかだった。まずインチキISPをまともな通信事業者に切り替えることにして現状調査やインチキISPの聞き取り調査をした。
スキルもなく体力もないのを突っ込むも、息をするように嘘で固めて返事を返してそれで押し通してきました。相手もおいしい仕事とられないと必死。
経営陣には怒られるの覚悟で、
会社の成長にはネックになる、現在でも障害直訴したところ、
「前からうさん臭いと思っていたので理解できた。どうすればいいか提案してほしい」と好反応。

そこで、頑張ってインフラの更改案を作成した、
効果(経費削減、ITの性能改善効率アップ、それによるが売り上げ貢献)と費用面を含めたいいストーリーの更改案を具体的な金額付きで提示できたので提出。
結果はあっさり了承。
その上社長からは、
「改革案の実行を貴方にお任せしたい。
やりやすいように取締役の肩書をつけますので会社の代表する立場でベンダーとのやり取りをしてください」

といわれて二度びっくり。その時はまだ試用期間中で本採用になる前だったので本採用の前に取締役就任となりました。

一粒の麦が土地に落ちて多くの実がなる。

いざプロジェクトを始めると、社内での足を引っ張りに、
インチキISPの案件つぶしと面倒な事がやはり起きてきました。
知り合いのSIerからの手厚い支援や通信事業者の方もエース級のSEを投入してくれたので安心できる体制ができあがり、
正攻法で結果がだせそうなので試験店舗の切り替えにたどりつきました。
しかし切り替え後になっても、
古参の管理者のメンバーは現状を理解できずに
フリーズしたり、変化を嫌ってただ文句をつけるというまさかの状態に陥って
しまいました。

悩んだ結果、まず文句を言わせない方法として
・絶対権力者(オーナー)からプロジェクトを実施するお墨付き(GOサイン)をもらう。
・そのお墨付きがでた事を周知(社内ファイルサーバの共有ホルダーにアップして全マネージャにメールで通知)、水戸黄門の印籠でとよと観念させる。
・そして、ここから神様から頂いた知恵がさずかり
”私はベンダー等の契約が終わったらやめます、絶対オーナー様のGOサインでているのでやるしかないですよ、実行部隊はSIerと通信事業者がやりますのでご心配なく”と宣言。私がこの件でのし上がるとと思ってい反対勢力方々には
予想外だったようで唖然として自分たちでやるしかないかと観念したようです。(後で聞く)

1年で取締役を捨ててまた”用務員”へ

ちゃんとした基盤構築の筋道はつくりベンダーの体制もできたので
成功すると確信できたので、別の仕事を探すことにしました。
最終出社日は、本当に悲しんでくれた仲間や惜しんでくれた経営陣の方から
ねぎらいの言葉を受けて退社。人生初の取締役は1年で終了。

丸投げにしたベンダーからもなんと高評価をいただき、個人的に送別会していただきました。その時に知り合った仲間とはいまでも交流が続いている人もいる。
いい経験でした。また、ベトナムでの経験を生かすこともできて結果”おいしいプロジェクト”でした

REDOWLでお買い物-19- デジタル土方は黙って殴られる

デジタル土方の悲哀ードイヒーな仕打ち

話しが飛びますが、フリーランスや現地採用で経験したパワハラ系な方々の経験談です。

1.話が違います!


当初の説明と仕事の内容が違っていたので、
先方に私には経験がない分野なので教えてくださいとお願いしたら、

「経験者なのでなんとかしてもらえるという前提でお願いしてます」言いまかされてしまう。
短期の仕事ほどそんなのばっかり。
⇒私結構口論弱い



2.理不尽1-まずは嫌われない事

  • ブラックなソフトハウスにて、転職して1週間くらいしたとき
    役員クラスから”お前みたいな外資で適当な仕事と英語だけで過ごしてきたやつは使いものなならない。ここでは一からやり直すつもりでいなさい”。
    ⇒自分の経験だけでマウントとってくる
  • あなたは私の期待以下の成果しかだせない理由を教えろ!
    ⇒いや仕事の内容は最初の説明とちがうよ。業務内容は営業系管理者(80%)+技術(20%)。しかもガチガチ縦社会なので上司の顔色を考慮する必要があった、そんな管理者経験がないので先方は不満爆だった。ただバイリンガルのエンジニアは欲しかったから給料を下げたかった。
  • 派遣先で上長からパワーポイントで資料作成を依頼されドラフトを見せたら、速攻何の資料のレベルは!。だいたい私このフォント嫌いなんだよ。
    ⇒最初に自由に作ってくれここは縛りはないよ!といわれたので
  • この10年であんたみたいな低レベルは初めてみた。
    ⇒作業についてボスキャラ担当者からの説明不足は無視かあ。。。
  • コンプライアンス違反というが、違反かどうかは私が決める、お前じゃない。
    ⇒ だから、それがコンプライアンス違反だって。

3.理不尽2-オラオラ系のお客は契約条項すらは守らない

  • 客先にて、お客様担当者がここで休憩してといわれて相棒と雑談して休んでいたら、全く関係ない部署の人からのクレームで”仕事中に雑談しているなんて、働く態度ではない”。いまだに意味が分からない。
  • 契約外の時間外作業を無料でやれとのを要求してくるお客様がいた、この契約を押し付けられたもので私たちの実情にあってないという理由でした。契約を選択したのはお客様ですと回答しても同じクレームをつづけてくる。本音は値切りたいので理由を探していたらしい。営業がお歳暮もっていったらクレームがなくなった。
  • 超クレーマーなお客様にてIPカメラ設置作業を請け負った際、お客が設置機器をいじって壊した形跡があったが、そっちの設置が悪いと難癖をつけ値切ってきた。
  • 商社系のブリッジSEをしていた際、系列会社のITスタッフが契約にない作業を要求されたが無視していたら、壮絶ないやがらせを受ける。相手のスキルがいまいちだったので技術的に不備をしてきして反撃したら、一層炎上。
    ⇒私の雰囲気とかが相手には生理的に無理。忖度もご機嫌とりしないのでなんだあいつとなったしまいました。運悪くミスすると先方のいかり爆発(感想です)。
    上司にこびないと派遣とか契約社員はかなり不利な状況になる

悩みの霧が晴れたのは、


落ち込みんだ胸の内をクリスチャンの友人たちに相談したら、
以下の2種類の回答がきた。

(A)”あなたの人生は祝福されています。あなたの望むものは神様が与えてくださいます、祈り求めましょう、解決してくださいます。”
⇒あのー、祈っていないわけではないが、なぜつづくのかなあ

(B)”わかります、同様に困難な状況にあった友人も、XX先生に祈ってもらったら不思議に問題が解決できた”
⇒うーん、ご利益宗教っぽくてなんか納得できない。

(A),(B)とも”宗教的”すぎてそのままお返ししていました。その際偶然手にした本で書かれてい本で悩みの霧から光明がみえた。
  • 神様に”なぜ私が?”と不満をいったとしても、
    そもそも神様にはなぜ理不尽なことがおきたかを説明する”義務”はない。
    しかし、試練の時には、あなたが神様によって耐える力が与えられているを
    与えようとしておられる。
  • 人間は困難な時それが理にかなっていると思えればそれに耐えることができる。

問題を超自然的な力で解決してくれる事を期待するより、それを乗り越えていく事をできるように訓練されていき、乗り越えさせてもらえるよう成長できる。そのことに信頼していく事が私にはしっくりきました。

あとはわかったことはパワハラ(殴りかかってくる人)しかけてくる方々は反撃しない人間(殴り返さない人)を探していて、反撃しないぞわかるとパワハラしてくるなあと分析しました。
栄光在主






Tuesday, April 02, 2024

REDOWLでお買い物-18- 夢やぶれて、Back To Japan

 ハブられたか?


会社と日本人コミュニティーの双方からハブられた?

暫く経つと会社のベトナム人スタッフや駐在員からは煙たがれて相手にされない状況になりました。
現地の日系企業のお客様からの問い合わせやらクレーム対応を一人でこなす日々が当たり前になりました。
加えて、日本人のクリスチャンコミュニティーからも見事にはぶられる始末です。
なんでこんなに人から敬遠される経験は初めてで昔からすぐなじんでよく10年前からいるようだとよく言われていたにで理由がわからず落ち込んでいました。

人から見えないステルスモード!?

東南アジアでは、駐在員・現地にいる日本人男性の楽しみは
ゴルフ、酒、お姉ちゃん系や海外旅行だがそもそもそんな金はない。
そういう状態だと職場で何か話す共通のネタがなくなり孤立化し、
最終的にはステルスモードとなる。
駐在員側からは現地採用を下にみているという壁はあったし、
そして専門バカ(コンピュータオタク)には興味がなかったようです。
→私以外の日本人メンバーみんな頻繁に誘いあって飲み食いしてました。
 後からどこその店で楽しかったと後から聞かされるだけ。
 そもそも飲みにそんなに興味ないし金もないので反応しないでいると
 協調性がないとますますはぶられました。。

くわえて、何とか仕事は頑張っての休日・深夜で客先での障害対応をやってきたが上司・社長からは一切そんなことはなかった事のように無視される事多数。
おまけには障害なかったかのを勝手に騒いだように扱われる始末で
半年してやる気喪失。

ドS社長様からの給与査定

大手の客様からは評価されていて長くいて欲しいですと言葉をかけてもらっていたのでこれは給料は大幅アップがあると期待していたが、
昇給額は月額400円だった。
社長からは会社は赤字でこれが精いっぱい、貴方の働きには感謝していると
他人事のようなメールでの説明で終わり。
えー社長様は私の給料の3~5倍の家賃もする高級マンションに会社経費で
住んでいるじゃない。経費削減するといっているが自分の費用には手を付ける気が
ないのに憤慨しました。後で1年間でも高級マンションを3回も
大金かけて引っ越していたのを知ってこれは話にならないと断念しました。
最初は生真面目な感じだったが、
社長”の誘惑にはまったようでゴルフにはまり、仕事だといって接待ゴルフ大好き人間になっていきました。
関連して、ゴルフがうまい駐在員が帰国する際に”貴方は1年滞在延長しないか、経費はこちらで持つよ”と口説いていたのを聞いてしまった。
駐在員一人の年間経費は私の給料の10倍程度なので、仕事よりゴルフ優先と考えました

唯一の友達ができたが、すぐにお別れすることなる。

例外的に、アメリカ人とベトナム人の夫婦のハウスチャーチに入れてもらって仲良くしてくれマジに助かった。半ハウスチャーチにきている別アメリカ人とも友達になった、彼から”お前は結構いいやつだな”と言われたときは本当うれしくなった。しかし半年くらいたった時にその夫婦がUSに移住する予定と聞いて計画だと聞かされまた一人になると落ち込みました。

過去日本人以外(アメリカ人、オーストラリア人、香港人、カンボジア人、ミャンマ人など)クリスチャンには友達になってくれる人が多い傾向があったのでベトナムでもそうなると予想・期待していたが当てが外れていることに俺思いあがっていいたと情けなくなりました。

色々あって明日が見えなくなり、帰国。

必要とされていると思ってベトナム人牧師の地下教会にもたまに参加していましたが参加しても英語が話せる人がほぼいないので放置。
牧師が外国人を置いているのがかっこいいと思っていたようで、
単なるお飾りみたいな扱いで存在価値の薄さを受け入れるもなにか虚しさを
感じていきました。
当初の目的としたクリスチャンコミュニティは日本人コミュニティや
現地のコミュニティでも作れないままの状態が1年たっても変わらない
状況が続きました。

その時かみさんからは友達・家族がいない寂しさからかえってきたいのか
と言われたが、それが理由ではなく当初の自分の想定とは現状が
大きく外れていて特にだれにも”必要”とされていないのが分かった事だった。
わたしのモチベーションは
・だれかが喜ぶ顔を見ること
・だれかの助けになること
誰からも、声がかからない状態がつづくとNGなんです。

神様から召命だと信じていたが独りよがりだった。
それを悟ったとき一番落胆しました。そうなると”夢”がなくなってしまい
夢がないから明日をがんばろうという気力もなくなった。

夢破れて1年で帰国となります

Wednesday, August 30, 2023

REDOWLでお買い物-17-Vietnamで経験した事(仕事編)

 仕事でびっくりした事

残念なスタッフ

仕事はいろんな理由をつけてサボるので進捗はすすまない、
期限が迫ってくるので最後は残業して間に合わせる。

例として、ある現場でLANスイッチの設定もれの機器が見つかった。
忘れていたのと担当者のスタッフに聞くと”私はちゃんと設定はした!。
だれかが後から設定を壊した”とのすごい言い訳。
設定ファイルの更新日付を事前に確認していたのでそれはないと問い詰めたが、
こんどは”壊したやつが日付も変えた”と回答した。嘘を突き通す根性に根負けする。

その他道徳観念は恐ろしく低く、
出入りのベンダーがお客様の本番LANスイッチのポートを勝手にぬいて
自分のPCを接続してネットサーフィンしていた。やめろというと許可はとってあるというすごい言い訳してきた。ちょっと目を離すと部品・材料とかの盗難はめちゃ多かった

スキル

よく考えないで実行する。まずリブート、再インストール

客先の本番中機器でよくそれをやる。客から何が起きたとさわいだら今なおったと説明していたのがいいなあとおもう

わいろ

これはひどかった!!!メジャーな資格は買えるそです。

知り合ったベトナムの高校生は試験勉強全くしないで、親に先生に単位ほしいから先生にお金払ってとたのんでいた。

日本人のお客様の方も無茶苦茶な値引きを要求してきたり、難癖つけてお金を払おうとしない会社が2,3社。日本では一部上場だがベトナムではガバナンスがきかないので地味に”悪い事”するひとがいた。お中元やお歳暮もっていくと払ってくれた事もあった。

駐在員も、、、

金曜の夜の営業会議は土曜日の接待ゴルフの組み合わせだった事があった。
そして、月曜日の営業報告はそのゴルフの結果報告だった.
私にはついていけない世界である。


コンピュータ・セキュリティがない

コンピュータウイルスが買ったPCでももれなくついてくるそもそもOSが不正コピー
店で買ったUSBメモリーにもウィルスが潜んでいる
VietComBankの営業がお客様の経理担当者のPCにアプリを導入した際、ウイルス付きで経理PCから全PCに伝染してセグメント全滅。
パスワード破りはお手の物、パスワードクラックソフトまでもっていた

意外におおい動物や虫が原因の故障。

ケーブルなどがよく被害にあった。写真はファイバー・ケーブルが大型の虫(バッタ?)の足らしきもので切れていた写真。ファイバーの設置箱が完全に密閉されていなかったのと中にお菓子のごみがあったのでその匂いで虫がよってきたか。






Friday, August 18, 2023

REDOWLでお買い物-16-Go To Vietnam

 海外ボランティアに参加してから


東南アジアでの働きたいという漠然とした思いに駆られていた。就職活動したらNTT系列会社の現地法人にすんなる現地採用されました速攻現地へある程度苦労は想定していたが、想像以上に驚かれる事がありました



生活編

壁の穴

朝から工事をする土曜日
アパートの部屋に帰ったら壁に穴があいていた
防いでくれとたのんだが2日かかった
白い壁にセメントでふさいだけだった
かっこ悪いよ文句いったら、壁全面塗りかえた

湿気

3日でスーツやズボンにカビ
掃除・洗濯つきのアパートだったが、洗濯物が
生渇きしまわれるのでカビがよくはえた
2週間しまっておいた靴、はいたらそこが抜けた

部屋の停電

漏電でしてよくブレーカーが落ちる、2回工事しても
だめ。3回目で治った。
どうしたんだろうと分電盤をみたら
私の部屋の配線の一部が隣の部屋の配線
されていた。お隣さんの電気代どうなる

病院

健康診断がめちゃくちゃいいかげんだった
聴力検査が耳のよこで指をならしてOKだったなど
逆にレントゲンにこわさを感じた

仕事で接待で営業さんと同席。営業さんが
翌日アメーバ-赤痢と診断される。私も一応
病院でみておけといわれてクリニックに
いったが、なってから来いといわれる
ネットでみるとアメーバ赤痢は潜伏期間が
2日-3日とある。あれ矛盾


タクシーと免許


道を知らないタクシドライバーによく遭遇する
英語はほぼつうじない。
休日だけ自家用車にタクシーの看板とメータつけて客に法外な値段をとる
”ボッタクシー”とが多い

バイクに乗っているアメリカ人の友達に
どうやって免許取ったと質問したら、
”良い質問だね、私もそれを知りたいんだ”という回答だった

車両関係につきものの保険ですが、ほぼ保険には加入していないそうです。
保険金についても驚きで、一番高いのが牛、次が外人その次がベトナム人の順番だそうです。

怪しい人たち

いきなり夜はなしかけてくる中東風の
二人組。大きなお札みせろといわれる
あやしいからないと答える。円をみせろといわれるので
断る。逆切れされた。あとで大使館から詐欺グループだと
警告がでていた。

長髪の女性がおおい、誘拐して髪の毛をきっていく強盗団がでた


KimaStのカラオケ屋お姉ちゃんは
店の前で日本人を見かけると
「こんばんは」と声をかけてくる
朝よくいくばいんみー屋のおばさんは
朝からこんばんわーと声をかけてくれる

道にいる警官はわいろがとりが主な仕事といわれ
赤信号無視したくらいでは何もいわれない。
運が悪いと難癖つけてくるが
日本語でわめくと許してくれるらしい。

「スメック」カタカナ表記の店があった。



KimaStのカラオケ屋で夜店の前でお姉さんが立っていて
店の前で日本人を見かけると「こんばんは」と声をかけてくる。
カラオケ屋は日本でいうとキャバクラに相当するらしい。
行ったことないからわからない(かなり高い!)
→知り合いのおじさんは個人PCの壁紙をカラオケ屋のお姉さんとの
 ツーショットにしていた。運悪くそのPCを若いお姉さんが使うことになった
 そのことに気が付いたおじさんはPCを奪い取ろうと必死になっていた。
 面白い争奪戦だったのでいまだに覚えている。

→よくいくバインミー屋のおばさんが、それを知っているのか
朝から”こんばんわ”と声をかけてくる
それ以外だとなぜか”味の素”と声がかけられる


料理




結構薄味だが、Localといくと
いろんなうまい料理にであえた。
鍋:豊富。わさび醤油につけてたべるのが流行だったが
1回でチューブ1本くらい消費
麺:ライスペーパーとか葉っぱにくるんでたべる(写真は私が一番たべたBunChaです)
犬:あと、犬をたべる北だけ
イカ:イカはたべるがタコは食べないらしい。スルメとして日本に輸出している。

Sunday, November 27, 2022

REDOWLでお買い物-15-地震の事


東日本大震災

早期退職に応募してN社へ

なんとなく、海外で働きたいなあという思いが昔からあってIBMの1年間アサインとか応募したかったが部門がなくなったのでそれも無理となりぼんやり仕事をこなしていました。

世界の経済はリーマンショックの前触れがおきてなんか怪しい雰囲気がおしよせてきた頃

急に上司に呼び出され個別の打ち合わせがしたいといわれた。最初周囲になんか上司によびだされたというと次の部長じゃないかといわれちょっと有頂天だったが、主旨は早期退職パッケージが今度施行される年齢的にも該当するのでどうかといわれた。

計算するとマンションローンの返済と次女の学費も賄えてかつ貯金もできるので、応募することにする。とわいっても当面は働かないといけないので海外就労を見据えて活動を開始。しかしその時はリーマンショック後でなかなか厳しい状況だった。面接すらすすめない状況が2か月くらいつづいた。
同僚が口ききで老舗のN社に就職できて働きはじめました。
ここでの最初の仕事が大きな案件の売り込みで張り切って始めたんですが、
うまくいきかけると私の足をさりげなく引っ張る営業さんやらSEがいてあれあれとなり、
これは気を許せない会社だと察知して”長くはいられない”と感じました

仕事自体は目立とうとしなければ、自由にで好きな事ができた環境でいろんな機器を触って検証ができて技術的には楽しく働かせいていただていました。

大地震発生、そして被災地へ


2011年3月11日大地震が発生し、東北地域が津波の被害にそして福島では福島第一原発でのメルトダウンによる大きな被害が発生しました。被害地域が広すぎて行政も手が回らない状態がつづいていました。

勤めていた会社で東北支店(仙台)の社員に救援物資を届けようということになりメンバー募集がはじまったんですが、原発事故の関係で東北自動車は全面通行禁止で原発から半径50Kmから離れろと避難命令がでていた状況で応募がなくて裏でメンバー探しがはじまりました。

救援部隊のリーダが私の事を思い出してくれて、私の携帯に行きませんかと勧誘の電話をいただきはい、と軽く引き受けてその日はそのまま支度(寝袋、軍手、靴の中敷き、薬類)にすることになり翌日出社。

支援物資(ガソリンや携帯の電池など)車に詰め込んで総勢3名で仙台にむけて出発。
福島は危ないという予測をたてて新潟にでて山形経由で仙台に向かうことになりました。



荷物満載ですこしガソリンのにおいがきつい車で大雪の日本海地方をドライブをして、やばい事故りそうとひやひやしながら山形県天童市に到着。ここをベースにして翌々日仙台に支援物資第一弾をとどけました。

第2陣の支援物資が東京をでて先に仙台にとどけるという間抜けな展開になりましたが、ちょっとづつ支援が始まっていきました。

この物資を届けるときにもいろいろなストーリがあって他人のために動く意志を持った人、自分の事しか考えない人、とにかく頭がおかしい人いろいろな人間模様が展開されていきました。悲劇もいっぱい、心がほっこりする話もいっぱいなにもかもいろんな事が起きすぎた時間でした。ただ人助けにいきたいと純粋に支援する人達が大勢いたことには今でも感激を覚えています。

被災地にて

地震発生後1週間が経過した仙台の海沿いの地域でとった写真です。海岸線から2,3Km奥の地域かと思いますが津波で車がながされていました。この時点は車になかに遺体があるかは確認できておらず手つかずの状態でした。

仙台支店に大変知恵があって行動力を備えたリーダいて、非常に効率的に支援物資をふりわけ休日はボランティアでガラクタを片付けにいくという時期を半年くらいつづけたそうです。半面、営業所長は映画にでてきそうな自分勝手な方でした。東京くる支援物資に刺身つけてくれとか、高級ハムが欲しいとか、支援物資をこっそり抜き取って家に持ってかえろうとしたりなどなど最後は笑いにネタになっていました。

他人のために動く人たち

原発のため各IT会社のエンジニアは自宅待機を命じられうごけない状況で、福島にいたエンジニアは福島から避難を命じられていました。福島の病院で新規病棟工事の関連の仕事をしていたエンジニアと協力会社の人は急遽新潟に避難していました。被害が想像以上に甚大病室不足が目にみえていたのでその病院関係者から新規病棟を開けて病人受け入れたいという切羽詰まった依頼があったそうです。
会社の命令は福島県外で待機だったんですが、エンジニアたちは会社には「道具類を病院に忘れてきたので病院に取りに帰ります」という理由で現場にもどり
病院で作業したそうです。自分の判断で動けるのに感服!

次に宮城県での話です、ある市役所の建屋が津波の被害でサーバ類が流されてしまい住民台帳DBが使えず結果安否確認ができない状態になっていました。別の建屋のサーバがつかえそうなか現地調査の依頼がありました、しかし、派遣されてきたたエンジニアや関連する業者さんは現地調査以上の働きをみせたそうです。みんなフル装備で現場にいって建屋の床に泥を除去し電気工事、サーバーの起動やDBの起動まで1日でやり切りお客様に引き渡したそうです。費用は現地調査分だけです。こういう人のために働ける名もない人たちに感動です。

これは大した話ではないですが、
津波の被害地域を車で通っていた際、被災地域を一人で歩いて移動している
若い男性をみかけました。
当時はガソリンが入手できず(半日まって10リットル支給)おそらく車がつかえない人だろうと想像。道路に寸断も多くて、電話も使えない状況でしたので
ひょとして思いドライバー氏が気を聞かせて”送ってきますよ”声をかけました。
予想通りおばあさんと連絡がつかないので、歩いて様子を見に行くところとの事。
目的の町に着いた時点で男性が”ここから歩いていきます”というので
お別れすることになりました。
まだ1時間くらいあるくんだろうけど、人の世話には極力ならず遠慮する
ところになんかジーンとしました。

N社の頭のいい人が緊急車両の認定をもらってシールを車につけていたので、高速のSAで給油を受けられるという特典があったので私たちの車はガソリンについて余裕があったという事も追記させてもらいます。

2011年5月福島県郡山市にて

5月になっても原発事故で大量に避難された人があふれていました。
しかしボランティアの大半は福島は通過して宮城・岩手に向かう人が多かったと
記憶しています。やっぱり見えない放射能はこわいですよね。。。
なんか福島でなんかヘルプできないかと思っていたら、
運よく郡山市でIT系のボランティア募集があるのを知り、3泊4日で郡山にいってきました。
郡山市の県の施設には、原発のために3000人ほどの方が避難されていました。
普段は展示会やコンサートに利用されるホール会場がすべてが避難所になっていて
許可された人だけが入室だける独特な雰囲気がありました。
そこに以下のいろんな立場の人が登場してきてただ話だけが流れていったかなあというの
記憶でした。何もできなかったというのが正直な感想です。
  • 避難してきた人
  • ボランティアに来た外人
  • 地元のボランティアスタッフ
  • 県庁・市役所の人
  • 警察・自衛隊の人

避難所にあった支援物資のストック


ボランティアにはイタイ団体・人がいた

行政はその時期ボランティアは整理できないのでお断り状態でしたが、
私が参加した海外のボランティア団体には許可なぜかがありました。
後で聞くと外人が押しかけてきて行政がただ断りずらかったようで、
それを政府公認と盛っていたのが実情でした。

その団体は実態以上に話を盛ったせいで?
いろんなところが支援(人材・お金・物資)
が集まりすぎてしまい、結局うまく
回らず、最終的にはその団体のリーダが自分の首をしめる結果になったそうです。
それ以外にも
・避難所の内部にいっても、ボランティア同士の写真ばかりとっている人、
・原発避難地域にて無人の家に無断で入り写真をとってSNSにアップしている人
・自分がしたい仕事ないといって何もしないでただ現地にいるだけの人
・現地のニーズは無視して自分の団体・会社のサービス・機器を押し付ける方々

何しに来たのと首をかしげたくなった。