フリーランス時代の続きです。
バブルの時は、各会社が横並びで
システム開発をしたのでエンジニアは
超売り手市場で、
仕事の依頼が毎月くるので断っていたほどです。
給料もその当時は月収が当時で65万から70万くらいありました。同期のボーナスの
ほぼ倍です。しかし忙しくて休みひまもなく、
酒もあまり好きではなく
風呂なしの安アパートにすんでいましたが
金がたまったはずでしたが
貯金はそこそこしかたまらず、免許でもとっておけばよかったが暇がなく
今思うと何か買っておけばよかった。
ソフトハウスでの仕事
システムプログラマっぽい事できたので、業務アプリケーション(COBOL系)には
手をださずミドルウェア回りをやっていました。当時できたばかりのソフトハウスが
システムプログラマを探しているというのでそこの仕事に派遣されることになりました。
お客様は東京電力で、原子力発電所の制御システムのデータを
本社にホストと連動させるシステムの開発に参加しました。
今話題の福島第一です。対象は1号機、2号機だったと推測されます。
数年前の震災でその当時の施設があったことには驚きました。
周辺設備は変更されて刷新されたでしょうが、基本部分は変更できないので
当時のままの施設もあったかと、、、
減価償却が終わったので使えばつかうほど利益になるので使っていたのでしょうか
と疑いたくなった。
プライベートの事
- 当時今のかみさんと付き合っていたのですが、いつも終電の生活なのでデートするには前の日徹夜とかしないといけないので結構タフな日々でした。
- 母親がクモ膜下出血で倒れて手術をうけたんですが1週間後に昇天父親も大腸がんで入退院をくりかえしていて、先は長くないなあとひそかに覚悟していた時期でもありました。なにか心がぽっかり穴があいたようだったので、
- 紛らわせるために仕事ばかりしていました。
- アセンブラ系だったのでデバッグツールとか当時なくて、ひたすらダンプやトレースの解析で夜遅くまで没頭していた日々でしたが、ちょうど紛らわせるために仕事ばかりしていました。
これまずいなあ
将来このままで自分の技術が陳腐化するんじゃないかと不安を感じて、ちゃんと教育のある会社にいきたいと思うようにもなった時期でもありました。
そこで、先輩のいる会社に応募することにしました。
To Be Continue

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