Monday, August 27, 2007

2007年 CCMN ミャンマー短期宣教ツアー (3)



(3) うれしい再会

話は前後しますが、今年は香港で開催される事前キャンプから参加しました。参加も3回目をかぞえると知り合いがふえてきて、知った顔をみつけて記念撮影をとったり片言の英語で再会をよろこんだりとうれしいひと時をすごすことができた。
特に始めた参加したカンボジアのメンバーに出会った時は年甲斐もなくはしゃいでしまった。それより3年前にあったメンバーは当時22-3歳だったのが、この3年でいろいろ成長していたには驚いた。

メンバーの1人は訓練をうけて海外に長期宣教師として赴任しているのが、壮行会のビデオで紹介されていた。昨年フィリピンで一緒だった香港のメンバーからは、今年から長期宣教にいく決断をして訓練を開始したともきかされた。

彼らは本当に熱くて純粋な信仰をもってはいます。でも本当に普通の人で、正直すごい特技やとり得がある人ではありません。しいていえば、どん底の状態から救われて、普通の生活をすごすまでに なっていました。その過程を通してもらった恵みを、今度は自分がまだ救われていない他の人につたえる番というMINDになっている点が共通しています。救われたら次は弟子になっていくとい”従順さ”の現れでしょう。また、自分1人では無理だから、仲間と一緒にやろう、互いに仕えあおうとしている 姿勢も見えます。そこに私は彼らの”敬虔さ”を感じました。 最近の自分の周囲をみると、誰かが自分がHEROになろうとはせずに、純粋にお互いに仕えあおうのは難しい事だと感じていました。なんでそこまで
自分が自分がという気持ちがおきてこないかと、ちょっと気になって彼らをみていました。

自立した人格


彼らの態度から学んだ事として、私の場合、自分がみいだした”一撃必殺技”を引っさげて海外宣教を武者修行のようにいかなくてはいけないようなかなと考えいました。しかし、私の見た現場では、ある程度の準備をしたら、後は現地の状況や自分の成長とかも見比べながらうまく成長しているようですね、1人では無理だけど周囲に助け手がいるから可能なんでしょう。

そして自分が他人の忠告に耳を傾けることができる事と、相手も決して、上からの視点で教えようとしないこともあります。そこには、親分子分といった依存した関係ではなくて、お互いが自立していた人格がこの関係の前提にあります。
私が思うには、自立した人格をもっていたので、自分をめだたせようとか、他人と比較して優位な地位にもたらせようとしないのでしょう。なんどもいいますけど、決して特別な人ではなく、普通の人たちでした。むしろ過去に傷をおっていた弱い人でした。それが神様から自分は愛されていることを実体験できたことで、自分の本当のアイデンティーがみつかったと言っていました。人が変わる、人が癒される基本は、その人が神様の愛を感じて、受け取るかというのが重要なんだときずかされました。

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