シンガポールから帰国、そして福島へ
シンガポールの経験でから自分は日本の企業体質に合わないことを痛感してやや落ち込んで帰国。その後、前職の友人の紹介で福島県郡山市勤務のプロジェクトに参加することができ、気を取り直して1年半にわたって福島で働くことができました。震災以降にまた福島にいけるということに何かワクワクしていました。
後から聞いた話では、震災後の原発放射能汚染の噂の影響で応募者がいなかったそうです。福島では不思議なことに10年ぶりの友人に再会したり、良い上司に恵まれたりして、
1人で東北や日本海までふらっと旅にでたりと、福島では良い思い出だけをたくさん作ることができました。しかしプロジェクトの終了とともにその後東京へ戻ることとなりました。
気持ちは福島に置いたままのような状態(My Heart Left in Fukushima)だったので、なんとかまた福島にもどりたいという気持ちから福島の仕事にいろいろ応募しました。しかしすべて空振りに終わりがっかりしました。私は「お呼びでない」のだなあと、半ばあきらめていました。
起業、会津オフィス開設
もやもやした気持ちを抱えながら東京でさまざまな仕事をいただき、4、5年が経った頃、いろいろな人から「起業したら」と助言を受け、前職の知り合い2人とともに会社を設立しました。
当初は私1人だけが専従し、ほかの2人は現職に留まるという少し変わった体制でスタートすることになりました。半年ほど経つとて私に長期の仕事が入るようになり、なんとか離陸できたかなと思える状態になりました。
一緒に起業したメンバー(A氏)が福島のとある大学とのコネクションを活用し、大学発ベンチャーの名称をごり押しでとってその大学がキャンパス内に提供している大学発ベンチャー向けの賃貸オフィスを借りることができました。福島に戻ることができたと、少し舞い上がっていました。後からその大学関係者からはこのごり押しは印象が悪く私の会社は警戒されていたそうです。
まあ福島にまた戻ることができて気分は上向いていました。しかし良いことはここまでで、この後さまざまな問題が起こることになります。
あれあれ、軌道が狂い始めて福島撤収
A氏は他社のマネージャー兼任だったのでA氏のプロジェクトの仕事を回してくれたおかげで売上面では大いに助かっていました。しばらくすると予想外の事が起きてきました。
A氏はたまになにか会議で話す程度で実際の作業は手を出さず、最終的には私が放置されることが都度都度おきてきました。また、彼の口からはダメ出しばかりで段々疎遠になっていきました。また、いろんな飲み代やら手土産台を会社に請求してくるようになり公私混同じゃないかと思いだすようになりましたのでますます疎遠になりました。
しかし彼は常に新しい話題や活動に飛び回り、「忙しい」というので私の間が疎遠になったとしても気にしていなかったようです。私は彼の仕事をうけないで自分で仕事を見つけるように方向展開を決めて自分で営業して仕事をとることにきめました。幸い仕事が見つかったので依存しなくてすむようになりました。
そんな状態が2、3年経つとA氏の勢いが徐々にうすれていきました。いろんなところで公私混同が目立つようになっていき周囲から警戒されたようです。A氏経由の仕事の新規依頼もなくなり既存の案件も期限とと打ち切りになっていきました。私は彼に依存せずに自分で仕事していたのでまあ影響をうけずにほっとした感じです。ただ、いろんなメンバー費用を私の仕事の利益で賄うようになっていきやや将来に不安を感じだしました。
福島オフィスでひと騒動
話しは前後しますが福島にオフィスを借りた後にA氏は大学関係者2名を会社に雇用するといいだしました。仕事は自分がみつけるから大丈夫だから心配するなというのでまあ少しくらいは福島に貢献したいという気持ちがあったので会社に来ていただきました。
がしかし、そのうち1人は大学生のままののり自分の趣味の研究にばかり時間を使ってしまい仕事は適当に中途半端で放り投げる”パラサイト”社員であることが判明しました。本当に仕事がないので会社は赤字がになりかけました。また、お客様にも迷惑をかける事まであって私が直接謝罪に出向くこともありました。A氏はその件はおれがなんとか収めたという発言があってそれを信用していましたが実際謝罪にいって相手の担当者から全くそのような事は記憶にないと告げられてマジかと驚きました。そのパラサイト社員はここでパラサイトできないと悟ったのか別の会社に転職されていきまして赤字転落はなんとか回避できてほっとしたことは今でも覚えています。
さて問題を作ったA氏になんでパラサイト社員をつれてきたのと質問しましたが、いろいろ言い逃れだけして終了。迷惑かけたなあくらいはでるかとおもっていたのでがっかりしたのを覚えています。
それ以外にも、別メンバーからは「パワハラ被害」受けたと相談されたり苦労の連続でした。メンバーとは会話して一旦納得してもらいましたが数週間たつとやっぱりA氏と関わるのは生理的に無理だといわれて退職されていきました。
そして、いろいろな事情が重なり、大学から借りていたオフィスも最終的には返却することになり、福島から撤収となりました。
今振り返ると、福島の貴重なリソースを無駄に使ってしまっただけだったのではないかと、しきりに思います。
袂を分かち、新会社フライングペンギン・ネットワークス Take Off
さまざまな出来事が重なり、心のざわつきが続いていました。これ以上は継続できないと腹をくくり、会社は譲渡し、自分は新たに会社を立ち上げることにしました。
次女との会話の中で、「また会社を始めることにしたので、社名のアイデアをくれないか」と話したところ、出てきた名前が「フライングペンギン」でした。そこに「ネットワークス」を加え、「フライングペンギン・ネットワークス」と社名を決定しました。
一度起業を経験していたため、今回はすべて自力でスムーズに会社設立まで進めることができました。また、仕事も新会社で契約を継続していただけることになり、無事に Take Off です。
仕事探しには苦戦していますが、心に平安があることが何よりです。
学んだこと
悩んでいるときに何度か相談に乗っていただいた上司に、「袂を分かちました」と最後の報告に伺いました。
その上司の接し方には、どのような人でも受け入れる大きなキャパシティがあると感じました。自分もそのような器の大きさを持ちたいと思いました。
そして、「よく持った方だよ」と労っていただきました。その気遣いがとてもうれしく、自分もこのような気遣いができる人になりたいと強く思いました。

